大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

和歌山簡易裁判所 昭和38年(ろ)183号 判決

被告人 嶋津芳雄

大九・一・一九生 自動車運転手

安凡松

昭一〇・一・一七生 自動車運転手

主文

被告人両名は無罪。

理由

本件公訴事実は

被告人両名は、昭和三八年九月二三日午前八時二〇分ごろ、和歌山県公安委員会が道路標識によつて追越し禁止の場所と指定した和歌山市関戸三七八番地付近道路において、それぞれ普通乗用自動車を運転して、軽四輪自動車を追越したものである。

というにある。

そこで次に本件各証拠を検討する。

一、前島証言について、

前島英治は本件違反事実を現認したとして被告人ら両名を検挙した警察官であり、この前島証言(第二回公判調書中証人前島英治の供述部分、ならびに同証人の当公判廷における供述の外当裁判所の検証調書中同人の指示、説明を含む)こそ、本件公訴事実の成否にかかわるものである、そこでこれを仔細に検討する。

(1)本件検挙の経緯

当時白バイに乗車していた前島巡査が、被告人両名の自動車を追尾していたところ、本件現場付近で速度違反を現認したので、被告人らに対して、停車せしめたうえ、速度違反をした旨告げた。被告人らは速度違反の事実を否認し、前島巡査が被告人安から証拠を見せよ、と言われて、白バイの速度メーターを示そうとしたところ、メーターの故障のため何ら右違反事実を明らかにすることができず、却つて前島巡査が困惑してしまつた。しかもその際、前島巡査は被告人らから逆にとかく文句を言われるに及んで、今度は被告人らに対し、君らには追越違反の事実もあつたのだから、と申し向けて被告人らを検挙するに至つた。

右は前島巡査自からの証言に基く要旨であるが、右のごとき経緯に鑑み、且つその証言のふしぶしから、前島巡査が当時感情おだやかでないものがあつたこと、従つてまた、本件検挙に当つて多少の無理があつたのではないかと推測させるものがある。

(2)本件違反の場所

本件は当初その違反の場所を「和歌山市小松原通九丁目、前田医院前路上」として公訴されたが、後にこれを「和歌山市関戸三七八番地附近道路」と変更されたものである。

ところで、前島証言、証人有井昭愃の当公判廷における供述ならびに司法巡査作成の被告人両名に対する各道路交通法違反被疑事件報告書によると、前島巡査は本件検挙後、被告人両名を同行して、近くの堀止派出所に赴き、同所において、同所勤務の警察官有井昭愃に対し、右道路交通法違反被疑事件報告書作成の一部代筆方を依頼し、その際、本件追越し違反場所として「前田医院の先」ないし「前田医院のはたのパブリカ(和歌山パブリカ自動車販売店の意)のはた」である旨指示して立ち去つた事実が認められる。ところで当裁判所の検証調書によると、右前田医院と和歌山パブリカ自動車販売店とは建物が隣接しており、右前田医院ないし和歌山パブリカ自動車販売店と、前島巡査が本件違反現場として指示した場所との間には八〇メートル以上の距離があり、そのうえ、右両地点を結ぶ道路はその間においてカーブしていて見通しができない状態にある。そして右前田医院や和歌山パブリカ自動車販売店が、その大きさ形体等において、殊更注目に価する程の建物とは考えられないのであつて、寧ろ本件違反現場を指摘するについて、右のような距つた建物を目標にしなくとも他に適当な方法は幾らでもあつた筈である。前島証言によれば「本件現場附近は前田医院先と言つた方がわかりやすい」とのことであるが、被告人らが自からいわゆる追い抜きをした場所が和歌山パブリカ自動車販売店前であると述べていること(被告人らの司法巡査に対する各供述調書、被告人らの当公判廷における各供述、当裁判所の検証調書)、被告人らが本件を強硬に否認していたこと、(司法巡査作成の道路交通法違反被疑事件報告書二通、前島証言、被告人らの当公判廷における各供述)等を考え合せると極めて曖昧だとの感は免れない。

(3)本件追越しならびにその前後の状況

前島証言によると、被告人らがまさに追越しをしようとするに至るまで、被追越し車である軽四輪自動車がどのように進行していたかについては全く確認されていない。即ち右証人はこの点について、「高松の停留所から被告人らが何か違反をするのではないかと思い、その車の後を追従したが、右高松停留所と車庫前停留所間には被告人らの車二台しか見当らず、軽四輪車を見ていない。車庫前停留所には丁度上りの路面電車が着いていたので被告人らの車は右電車の客の乗り降りがすむのを待つて止つており、その前方は乗降客のために見えなかつた。右車庫前停留所の交差点には交通信号機が設けられていないから、その際、右交差点の手前附近では、証人や被告人らの前に同方向に進行する他の自動車が停車していたとは考えられない。そして先ず被告人安、続いて被告人嶋津、更に続いて証人の順で走り出し、証人が右交差点の中央附近にさしかかつたところで、被告人安が追い越しにかかろうとしている軽四輪車を初めて発見したが、その時の右軽四輪車の位置は西本写真機店北角附近道路であつた。従つて右軽四輪車が平和塔の方の道路から左折して来たとも考えられ、むしろその可能性が強い。」旨証言している。高松停留所附近から既に被告人らが何か違反するのではないかとの予感のもとに終始その後を追従していた程の前島巡査が、被告人安において軽四輪車を追い越そうとするまで、全く右軽四輪車を認めていないというのは、いささか不自然と思われるが、その点はさておくとしても、右証言からすると、軽四輪車が平和塔の方即ち交差点の西方の道路から来たとする可能性がむしろ強く、そうだとすると、当裁判所の検証調書における前島巡査の指示説明からみて、軽四輪車が右道路から交差点に入り、同交差点内で左折しようとした際に、被告人安の車と殆んど並行状態となり、それから被告人安が先行したものと認められるのであつて、少くとも、被告人安についてはこの場合、右前島巡査も証言するように、追越し違反があつたとすることができないのは明らかである。

次に本件道路はいわゆる一車線であるから、前島証人が供述するとおり被告人らが軽四輪車の右側を追越したとすれば右軽四輪車がこの車線上を正常な状態で走行していたとする限りにおいては、被告人らの車は追越しに際し、この車線上をはみ出て路面電車の軌道敷上に及ばざるを得ないとは思われるが、この点について前島証人は一方では被告人らが軌道上を走行した(第二回および第七回の各公判における各証言)と述べ、他方ではその上を走行していない(第五回公判における証言)と述べていて明らかでないばかりでなく、前記検証調書によると、むしろ軌道敷上に及んでいないものと認められる。してみると、被追越車が当時果して右車線上を正常な状態で走行していたか否かは疑問であつてむしろ同車が道路左端に寄り、従つてまた同時に徐行していたのではないかとさえ推測されうるのである。

更に、追越し後の軽四輪車がどのようであつたかについても全く確認されていない。即ち、前島証人はこの点について「堀止で被告人らの車を止めた時、軽四輪車が直進して追いついて来たかどうかわからない。軽四輪車が来ていたかどうか探そうともしなかつたし、見なかつた。」旨証言している。前島巡査が、被告人らの車を停車せしめた際、被告人らに対し前述のとおり、本来は速度違反検挙のつもりであつたにせよ、追越し違反のかどについても追求するというのであれば、できる限り被追越し車を確認したうえ、これを被告人らに指摘する等の措置を取るように努めるべきであつたと思われる。まして被告人らが右違反事実についてこれを否認していたにかかわらず、右のごとき措置について何の注意も払われていないのは首肯し難いところである。

要するに、前島証言は本件追越し状況につき、相当具体的且つ詳細に述べられているけれども、以上(1)ないし(3)に述べた諸点は、いずれも本件違反の現認に関する前島証言の信憑性に著しい疑問を抱かせるものであつて、これをこの儘措信するには躊躇せざるを得ない。

二、司法巡査作成の道路交通被疑事件報告書二通について

これら二通の報告書は前島巡査作成にかかるものであるが、既に詳述したとおり、同証人の証言、前記検証調書中同人の指示、説明との間に齟齬があるばかりでなく、その体裁は粗雑であり、且つこれらの報告書の一部は他の警察官の代筆によるものであるなど前述のごとき作成状況に照らし、一層信憑性に疑問がある。

三、被告人両名の供述ならびに態度について、

被告人両名は、本件検挙の際ならびにその直後の警察官による取調以来一貫して右事実を否認し、且つ「本件日時ごろ和歌山パブリカ自動車販売店の前に来たとき、軽四輪車が減速して左側に寄つたので、その側方をいわゆる追抜きしたものであつて、追越しをしたものではない」旨主張している(被告人両名の司法巡査に対する各供述調書、第一回公判調書中被告人両名の供述部分、被告人両名の当公判廷における各供述、当裁判所の検証調書)。そして被告人らがいわゆる追抜きをしたとする場所が前述のごとき「前田医院の先」ないし「前田医院のはたのパブリカのはた」との前島巡査の検挙直後の言葉に符合するものであること、右和歌山パブリカ自動車販売店前の状況は前記検証調書によつても明らかなとおり、右販売店の建物と道路との間には相当数の自動車を駐車させる程の余裕ある敷地があること、その他第三回公判調書中証人小泉照子の供述部分等に照らしても、被告人らの右主張ならびにその供述態度にはいささかの矛盾がないことを考え合せると、単に罪責を免れるための弁解としてこれを頭から排斥することができないものがある。

四、結論

被告人らが主張するいわゆる追抜きだとする証拠は十分ではない。そして前記前島証言は本件違反事実を現認したとしてその状況を、相当具体的且つ詳細に述べており、本件違反の疑いは全くないわけではない。しかし本件の成否にかかわるともいうべき前島証言が既に詳述したとおりその信憑性に疑問を抱かざるを得ないものであり、その他右違反事実を認定するに足る証拠がない以上、結局本件公訴事実はその証明が十分でないことに帰着し、刑事訴訟法第三三六条により右事実について、被告人両名に対し無罪の言渡をすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 沢田脩)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例